走れメロス

原文-OriginalやさしいにほんごEasy English
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐《じゃちぼうぎゃく》の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此《こ》のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿《はなむこ》として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈《はず》だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺《ろうや》に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣《よつぎ》を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
 聞いて、メロスは激怒した。「呆《あき》れた王だ。生かして置けぬ。」
 メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏《じゅんら》の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以《もっ》て問いつめた。その王の顔は蒼白《そうはく》で、眉間《みけん》の皺《しわ》は、刻み込まれたように深かった。
「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、憫笑《びんしょう》した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁《はんばく》した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟《つぶや》き、ほっと溜息《ためいき》をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ、下賤《げせん》の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔《はりつけ》になってから、泣いて詫《わ》びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は悧巧《りこう》だ。自惚《うぬぼ》れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は、嗄《しわが》れた声で低く笑った。「とんでもない嘘《うそ》を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑《ほくそえ》んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙《だま》された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩《やつばら》にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
 メロスは口惜しく、地団駄《じだんだ》踏んだ。ものも言いたくなくなった。
 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳《よ》き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯《うなず》き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
 メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌《あく》る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労|困憊《こんぱい》の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。
「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」
 妹は頬をあからめた。
「うれしいか。綺麗《きれい》な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」
 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
 眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄《ぶどう》の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺《こら》え、陽気に歌をうたい、手を拍《う》った。メロスも、満面に喜色を湛《たた》え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、
「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
 花嫁は、夢見心地で首肯《うなず》いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、
「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」
 花婿は揉《も》み手して、てれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈《えしゃく》して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。
 私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞《かんねい》邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止《や》み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額《ひたい》の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気《のんき》さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧《わ》いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫《はんらん》し、濁流|滔々《とうとう》と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵《こっぱみじん》に橋桁《はしげた》を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟《けいしゅう》は残らず浪に浚《さら》われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮《しず》めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」
 濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽《あお》り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻《か》きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍《れんびん》を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒《こんぼう》を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙《すき》に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石《さすが》に疲労し、折から午後の灼熱《しゃくねつ》の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈《めまい》を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天《いだてん》、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代《きたい》の不信の人間、まさしく王の思う壺《つぼ》だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身|萎《な》えて、もはや芋虫《いもむし》ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐《ふてくさ》れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截《た》ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺《あざむ》いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉《かな》。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
 ふと耳に、潺々《せんせん》、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々《こんこん》と、何か小さく囁《ささや》きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬《すく》って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労|恢復《かいふく》と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。
 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。
 路行く人を押しのけ、跳《は》ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴《け》とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯《さ》っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。
「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方《かた》をお助けになることは出来ません。」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」
「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」
 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。
「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉《のど》がつぶれて嗄《しわが》れた声が幽《かす》かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、
「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧《かじ》りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。
「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若《も》し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯《うなず》き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑《ほほえ》み、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
 メロスは腕に唸《うな》りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
 群衆の中からも、歔欷《きょき》の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶《かな》ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
 どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
 ひとりの少女が、緋《ひ》のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。

メロスはとても怒(おこ)りました。悪い(わるい)王(おう)を必(かなら)ずやめさせようと決(き)めました。メロスは政治(せいじ)のことはよくわかりません。メロスは村(むら)で羊(ひつじ)をかう人(ひと)です。笛(ふえ)をふいて、羊(ひつじ)とあそんで暮らし(くらし)ていました。でも、悪(わる)いことにはとても敏感(びんかん)でした。
今日(きょう)の朝早(あさはや)くにメロスは村(むら)を出(で)て、野(の)や山(やま)をこえて、遠(とお)いシラクスという町(まち)に来(き)ました。メロスには父(ちち)も母(はは)もいません。奥(おく)さんもいません。16歳(さい)の内気(うちき)な妹(いもうと)と2人(ふたり)で暮(く)らしています。妹(いもうと)は村(むら)のまじめな羊(ひつじ)かいの人(ひと)と、もうすぐ結婚(けっこん)します。結婚式(けっこんしき)も近(ちか)いです。メロスは妹(いもうと)の結婚(けっこん)のために、きれいな服(ふく)やごちそうを買(か)いに、町(まち)に来(き)ました。
まず、そのものを買(か)いあつめて、それから町(まち)のおおきな道(みち)をぶらぶら歩(ある)きました。メロスには昔(むかし)からの親友(しんゆう)がいました。セリヌンティウスです。今(いま)はこのシラクスの町(まち)で石工(いしく)をしています。その友(とも)に、これから会(あ)いに行(い)くつもりです。長(なが)い間(あいだ)会(あ)っていなかったので、会(あ)うのが楽(たの)しみです。
歩(ある)いているうちに、メロスは町(まち)のようすが変(へん)だと思(おも)いました。静(しず)かなのです。もう日(ひ)も暮(く)れて、町(まち)が暗(くら)いのはあたりまえですが、夜(よる)のせいだけでなく、町(まち)ぜんたいがとてもさびしいのです。のん気(き)なメロスも、だんだん不安(ふあん)になりました。
道(みち)で会(あ)った若(わか)い人(ひと)に、何(なに)かあったのかと聞(き)きました。
「2年(ねん)まえにこの町(まち)に来(き)たときは、夜(よる)でもみんな歌(うた)って、町(まち)はにぎやかだったはずです。」と言(い)いました。
 若(わか)い人は首(くび)をふって、答(こた)えませんでした。しばらく歩(ある)いて、おじいさんに会(あ)いました。今度(こんど)はもっと強(つよ)い言葉(ことば)で聞(き)きました。おじいさんは答(こた)えませんでした。メロスは両手(りょうて)でおじいさんの体(からだ)をゆすって、もう一度(いちど)聞(き)きました。おじいさんは周(まわ)りを気(き)にして、低(ひく)い声(こえ)で少(すこ)しだけ答(こた)えました。
「王(おう)さまは、人(ひと)をころします。」
「なぜころすのですか。」
「悪(わる)い心(こころ)を持(も)っている、と言(い)います。でも、だれもそんな悪(わる)い心(こころ)なんて持(も)っていません。」
「たくさんの人をころしたのですか。」
「はい、はじめは王(おう)さまの妹(いもうと)のご主人(ごしゅじん)を。それから、自分(じぶん)の息子(むすこ)を。それから、妹(いもうと)を。それから、妹(いもうと)の子どもを。それから、皇后(こうごう)を。それから、かしこいご家来(ごけらい)のアレキスさまを。」
「おどろきました。国王(こくおう)は、くるっているのか。」
「いいえ、くるっていません。人(ひと)を信(しん)じることができないのです。最近(さいきん)は、家来(けらい)の心(こころ)も疑(うたが)い、少(すこ)し派手(はで)な生活(せいかつ)をしている人(ひと)には、人質(ひとじち)を1人(ひとり)ずつ出(だ)すように言(い)っています。命令(めいれい)を断(ことわ)れば、十字架(じゅうじか)にかけられてころされます。きょうは6人(にん)ころされました。」
 聞(き)いて、メロスはとても怒(おこ)りました。
「あきれた王(おう)さまだ。生(い)かしておけません。」
メロスは、たんじゅんな男(おとこ)でした。買(か)い物(もの)をせおったままで、のそのそとおしろに入(はい)って行(い)きました。すぐに彼(かれ)は、見回(みまわ)りをしていた警官(けいかん)につかまりました。調(しら)べられて、メロスのポケットからナイフが出(で)てきたので、大騒(おおさわ)ぎになりました。メロスは、王(おう)の前(まえ)に呼(よ)ばれました。
「このナイフで何(なに)をするつもりだったか。言(い)え!」
悪(わる)い王(おう)のディオニスは静(しず)かに、でも王様(おうさま)らしく聞(き)きました。その王(おう)の顔(かお)は青白(あおじろ)くて、まゆの間(あいだ)のしわが深(ふか)かったです。
「町(まち)を悪(わる)い王様(おうさま)から助(たす)けるんだ。」とメロスは堂々(どうどう)と答(こた)えました。
「おまえがか?」王(おう)は、ばかにしてわらいました。「仕方(しかた)のないやつだ。おまえには、わしのさびしさがわからぬ。」
「言(い)うな!」とメロスは怒(おこ)って言(い)いました。「人(ひと)の心(こころ)をうたがうのは、一番(いちばん)悪(わる)いことだ。王(おう)は、人々(ひとびと)の真心(まごころ)までうたがっている。」
「うたがうのが、正(ただ)しい心(こころ)のもち方だと、わしに教(おし)えたのはおまえたちだ。人(ひと)の心(こころ)は信(しん)じられない。人間(にんげん)は、もともと自分(じぶん)のことばかり考(かんが)える。信(しん)じてはいけない。」悪(わる)い王様(おうさま)は落(お)ち着(つ)いてつぶやいて、ほっとためいきをつきました。「わしだって、平和(へいわ)がほしいんだが。」
「なんのための平和(へいわ)だ。自分(じぶん)の地位(ちい)を守(まも)るためか。」こんどはメロスがばかにして笑(わら)いました。「悪(わる)いことをしていない人(ひと)をころして、何(なに)が平和(へいわ)だ。」
「だまれ、きたないやつ!」王(おう)は、さっと顔(かお)をあげてこたえました。「口(くち)では、どんなきれいなことでも言(い)える。わしには、人(ひと)が本当(ほんとう)に考(かんが)えていることがよくわかる。おまえだって、はりつけになってから泣(な)いてあやまってもゆるさないぞ。」
「ああ、王(おう)は頭(あたま)がいいさ。自分(じぶん)が正(ただ)しいとおもっていろ。でも、私(わたし)は、ちゃんと死(し)ぬつもりだ。助(たす)けてくださいなんてぜったいに言(い)わない。ただ――」と言(い)いかけて、メロスは足(あし)もとを見(み)て、すこし考(かんが)えて、「ただ、私(わたし)をかわいそうだと少(すこ)しでもおもうなら、ころされるまでに三日(みっか)の時間(じかん)をください。たった一人(ひとり)の妹(いもうと)を結婚(けっこん)させたいんです。三日(みっか)の間(あいだ)に、村(むら)で結婚式(けっこんしき)をさせて、必(かなら)ずここへ帰(かえ)ってきます。」
「ばかな。」と悪(わる)い王様(おうさま)は、かすれた声(こえ)で低(ひく)くわらいました。「とんでもないうそを言(い)うな。逃(に)げた小鳥(ことり)が帰(かえ)ってくるか?」
「ええ、帰(かえ)って来(き)ます。」メロスは必死(ひっし)で言(い)いました。
「私(わたし)は約束(やくそく)を守(まも)ります。私(わたし)を、三日(みっか)だけゆるしてください。妹(いもうと)が、私(わたし)の帰(かえ)りを待(ま)っています。どうしても私(わたし)を信(しん)じられないなら、わかりました、この町(まち)にセリヌンティウスという石工(いしく)がいます。私(わたし)の一番(いちばん)の親友(しんゆう)です。彼(かれ)を人質(ひとじち)としてここに置(お)いていきましょう。もし私(わたし)が逃(に)げて、三日目(みっかめ)の夕方(ゆうがた)まで帰(かえ)って来(こ)なかったら、あの友(とも)をころしてください。お願い(ねが)いです。そうしてください。」
それを聞(き)いて、王(おう)は、みにくい気持(きも)ちで、にやにやわらいました。えらそうなことを言(い)う。どうせ帰(かえ)って来(こ)ないにきまっている。このうそつきにだまされたふりをして、にがすのもおもしろい。そして、かわりの男(おとこ)を三日目(みっかめ)にころすのも気持(きも)ちがいい。人(ひと)はこれだから信(しん)じられないと、わしはかなしい顔(かお)をして、そのかわりの男(おとこ)をはりつけにしてころしてやる。世(よ)の中(なか)の、正直者(しょうじきもの)という人々(ひとびと)にしっかり見(み)せてやりたい。
「願(ねが)いを聞(き)いた。そのかわりの男(おとこ)を呼(よ)べ。三日目(みっかめ)の日(ひ)がしずむ前(まえ)に帰(かえ)って来(こ)い。おくれたら、そのかわりの男(おとこ)を必(かなら)ずころすぞ。すこし遅(おく)れて来(く)るほうがいいぞ。そしたら、おまえの罪(つみ)を、永遠(えいえん)にゆるそう。」
「何(なに)を言(い)っているのですか。」
「はは。自分(じぶん)の命(いのち)が大切(たいせつ)なら、遅(おく)れて来(こ)い。おまえの心(こころ)はわかっているぞ。」
 メロスはくやしくて、足(あし)をばたばたさせた。もう、なにも言(い)いたくなくなった。
親友(しんゆう)セリヌンティウスは、夜中(よなか)、王(おう)さまの城(しろ)に呼(よ)ばれた。悪(わる)い王様(おうさま)ディオニスの前(まえ)で、二人(ふたり)は、二年(にねん)ぶりに会(あ)った。メロスは、友(とも)だちにすべてを話(はな)した。セリヌンティウスは何(なに)も言(い)わずに、メロスをぎゅっとだきしめた。友(とも)と友(とも)の間(あいだ)は、それでよかった。セリヌンティウスは、なわでしばられた。メロスは、すぐに出(で)かけた。夏(なつ)のはじめで、夜空(よぞら)には星(ほし)がいっぱいだった。
 メロスはその夜(よる)、全然(ぜんぜん)寝(ね)ないで、十里(じゅうり)の道(みち)をいそいだ。村(むら)についたのは、つぎの日(ひ)の朝(あさ)。太陽(たいよう)はもう高(たか)くのぼっていて、村(むら)の人(ひと)たちは、野原(のはら)に出(で)て仕事(しごと)をしていた。メロスの十六歳(じゅうろくさい)の妹(いもうと)も、今日(きょう)は兄(あに)のかわりに、羊(ひつじ)の見張(みは)りをしていた。ふらふら歩(ある)いて来(く)る兄(あに)の、疲(つか)れてぼろぼろの様子(ようす)を見(み)て、おどろいた。そして、兄(あに)にたくさんの質問(しつもん)をした。
「なんでもない。」メロスは、無理(むり)に笑(わら)おうとした。「町(まち)にやることを残(のこ)してきた。またすぐ町(まち)に行(い)かなければならない。明日(あした)、おまえの結婚式(けっこんしき)をする。早(はや)いほうがいいだろう。」
妹(いもうと)は頬(ほお)を赤(あか)くした。
「うれしいか。きれいな着物(きもの)も買(か)ってきた。さあ、これから行(い)って、村(むら)の人(ひと)たちに知(し)らせてこい。結婚式(けっこんしき)は、明日(あす)だと。」
 メロスは、また、ふらふらと歩(ある)き出(だ)し、家(いえ)に帰(かえ)って神棚(かみだな)を飾(かざ)り、結婚式(けっこんしき)の席(せき)を用意(ようい)し、そのまま、床(ゆか)に倒(たお)れて、息(いき)をするのも忘(わす)れるほどの深(ふか)く眠(ねむ)ってしまった。目(め)が覚(さ)めたのは夜(よる)だった。メロスは起(お)きてすぐに、花婿(はなむこ)の家(いえ)へ行(い)った。そして、少(すこ)し訳(わけ)があるから、結婚式(けっこんしき)を明日(あした)にしてほしい、と頼(たの)んだ。婿(むこ)の羊飼(ひつじか)いは驚(おどろ)いて、「それはいけない。こっちはまだ何(なん)の準備(じゅんび)もできていない。葡萄(ぶどう)の季節(きせつ)まで待(ま)ってくれ」と答(こた)えた。メロスは、「待(ま)つことはできない。どうか明日(あした)にしてほしい」と、さらに頼(たの)んだ。婿(むこ)の羊飼(ひつじか)いも、なかなか考(かんが)えを変(か)えなかった。簡単(かんたん)には「はい」と言(い)ってくれない。夜明(よあ)けまで話(はな)し合(あ)いを続(つづ)けて、やっと婿(むこ)を落(お)ち着(つ)かせ、丁寧(ていねい)に説明(せつめい)をして、説得(せっとく)した。
 結婚式(けっこんしき)は、昼(ひる)に行(おこな)われた。新郎新婦(しんろうしんぷ)が、神(かみ)さまに誓(ちか)いの言葉(ことば)を言(い)い終(お)わったころ、空(そら)に黒(くろ)い雲(くも)が出(で)てきて、ぽつりぽつりと雨(あめ)が降(ふ)り始(はじ)め、やがて、滝(たき)のような大雨(おおあめ)になった。 ごちそうの席(せき)に出(で)ていた村(むら)の人(ひと)たちは、何(なに)か悪(わる)いことが起(お)きそうな気(き)がした。でも、気持(きも)ちを高(たか)めて、狭(せま)い家(いえ)の中(なか)で、蒸(む)し暑(あつ)いのを我慢(がまん)しながら、元気(げんき)に歌(うた)を歌(うた)い、手(て)を叩(たた)いた。メロスも、顔(かお)いっぱいに喜(よろこ)びを浮(う)かべて、しばらくの間(あいだ)は、王様(おうさま)とのあの約束(やくそく)さえ忘(わす)れていた。お祝(いわ)いの会(かい)は、夜(よる)になってますます賑(にぎ)やかになり、人々(ひとびと)は、外(そと)のひどい雨(あめ)をまったく気(き)にしなくなった。メロスは、「一生(いっしょう)このままここにいたい」と思(おも)った。このすてきな人(ひと)たちとずっと暮(く)らして行(い)きたいと願(ねが)ったが、今(いま)は、自分(じぶん)の体(からだ)が、自分(じぶん)だけのものではない。思(おも)い通(どお)りにはいかないのだ。メロスは、自分(じぶん)をしかって、ついに出発(しゅっぱつ)することを決(き)めた。明日(あした)の夕方(ゆうがた)までには、まだたくさん時間(じかん)がある。「ちょっと眠(ねむ)って、それからすぐに出(で)かけよう」とメロスは考(かんが)えた。その頃(ころ)には、雨(あめ)も少(すこ)し弱(よわ)くなっているだろう。できるだけ長(なが)くこの家(いえ)にいたかった。メロスのような男(おとこ)にも、やはり心(こころ)のこりという気持(きも)ちがあった。今夜(こんや)、幸(しあわ)せでぼうっとしている花嫁(はなよめ)に近(ちか)づき、こう言(い)った。
「おめでとう。私(わたし)は疲(つか)れてしまったから、悪(わる)いけれど、眠(ねむ)りたい。目(め)が覚(さ)めたら、すぐに町(まち)に出(で)かける。大切(たいせつ)な用事(ようじ)があるのだ。私(わたし)がいなくても、もうおまえには優(やさ)しい夫(おっと)がいるのだから、決(けっ)して寂(さび)しくはない。おまえの兄(あに)が、一番(いちばん)嫌(きら)いなのは、人(ひと)を疑(うたが)うことと、うそをつくことだ。おまえも、それは知(し)っているね。夫(おっと)との間(あいだ)に、どんな秘密(ひみつ)も作(つく)ってはいけない。おまえに言(い)いたいのは、それだけだ。おまえの兄(あに)は、たぶん偉(えら)い男(おとこ)だから、おまえもそのことを誇(ほこ)りに思(おも)っていなさい。」
花嫁(はなよめ)は、夢(ゆめ)を見(み)ているような気持(きもち)でうなずいた。メロスは、それから花婿(はなむこ)のかたをたたいて、こう言(い)った。
「財産(ざいさん)がないのは、同(おな)じだ。私(わたし)の家(いえ)にも、宝(たから)と呼(よ)べるのは、妹(いもうと)と羊(ひつじ)だけだ。他(ほか)には、なにもない。ぜんぶあげよう。もうひとつ、メロスの弟(おとうと)になったことを誇(ほこ)りに思(おも)ってくれ。」
 花婿(はなむこ)は手(て)をこすりながら、恥(は)ずかしそうに笑(わら)っていた。メロスは笑(わら)って、村(むら)の人(ひと)たちにもあいさつして、祝い(いわい)の場所(ばしょ)から立(た)ち去(さ)り、羊(ひつじ)小屋(ごや)にもぐりこんで、死(し)んだように深(ふか)く眠(ねむ)った。
目(め)がさめたのは、次(つぎ)の日(ひ)の明(あ)け方(がた)ごろだった。メロスは、とび起(お)きて「しまった、寝過(ねす)ごしたか」と思(おも)ったが、「いや、まだ大丈夫(だいじょうぶ)。これからすぐに出(で)かければ、約束(やくそく)の時間(じかん)には間(ま)に合(あ)う」と考(かんが)えた。「今日(きょう)は、どうしてもあの王(おう)に、人(ひと)を信(しん)じる心(こころ)がまだこの世(よ)にあるということを見(み)せてやろう。そして、笑(わら)ってはりつけの台(だい)に上(あ)がってやる。」
 メロスは、ゆったりと出(で)かける準備(じゅんび)をはじめた。雨(あめ)も、少(すこ)しだけ弱(よわ)くなっているようだった。準備(じゅんび)はできた。さて、メロスは、ぐるんと両腕(りょううで)を大(おお)きくふって、雨(あめ)の中(なか)を、矢(や)のように走(はし)り出(だ)した。
私(わたし)は、今夜(こんや)、殺(ころ)される。殺(ころ)されるために走(はし)っているのだ。代(か)わりにつかまった友達(ともだち)を助(たす)けるために走(はし)るのだ。王(おう)のずるさと悪(わる)さに勝(か)つために走(はし)るのだ。走(はし)らなければならない。そして、私(わたし)は殺(ころ)される。若(わか)いころから、名誉(めいよ)を守(まも)れ。さようなら、故郷(ふるさと)。若(わか)いメロスは、つらかった。何(なん)ども、立(た)ち止(ど)まりそうになった。「えい、えい!」と大(おお)きな声(こえ)を出(だ)して、自分(じぶん)を励(はげ)ましながら走(はし)った。村(むら)を出(で)て、野原(のはら)を通(とお)り、森(もり)の中(なか)を走(はし)った。隣(とな)りの村(むら)に着(つ)いたころには、雨(あめ)も止(や)んで、日(ひ)は高(たか)く昇(のぼ)り、だんだん暑(あつ)くなってきた。メロスは、額(ひたい)の汗(あせ)を手(て)でふいて、「ここまで来(く)れば、大丈夫(だいじょうぶ)。もう故郷(ふるさと)に心(こころ)を引(ひ)かれることもない。妹(いもうと)たちは、きっと良(よ)い夫婦(ふうふ)になるだろう。私(わたし)は、もう何(なに)も心配(しんぱい)することはない。まっすぐに王(おう)のいるお城(しろ)に行(い)けば、それでいい。」そう思(おも)うと、「そんなに急(いそ)ぐこともないな」と、元(もと)ののんきな気持(きも)ちを取(と)り戻(もど)して、好(す)きな歌(うた)を大(おお)きな声(こえ)で歌(うた)い出(だ)した。ぶらぶらと歩(ある)いて、二里(にり)、三里(さんり)と進(すす)み、そろそろ道(みち)のりの半分(はんぶん)くらいに来(き)たころ、不意(ふい)に悪(わる)いことに出会(であ)った。メロスの足(あし)は、ぴたりと止(と)まった。見(み)よ、前(まえ)の川(かわ)を。きのうの大雨(おおあめ)で山(やま)の水(みず)があふれ、にごった水(みず)がたくさん下(した)のほうに流(なが)れてきて、強(つよ)い力(ちから)でいっきに橋(はし)をこわしてしまった。川はごうごうと大(おお)きな音(おと)をたて、激(はげ)しく流(なが)れていた。水(みず)の力(ちから)で、橋(はし)の木(き)の柱(はしら)もばらばらに壊(こわ)されて、とびちっていた。メロスは、大(おお)きくおどろき立(た)ちつくした。まわりを見(み)て、大(おお)きな声(こえ)で人(ひと)を呼(よ)んでみた。でも、つないであった船(ふね)は全部(ぜんぶ)流(なが)されてしまってどこにもなく、川(かわ)を渡(わた)してくれる人(ひと)の姿(すがた)も見(み)えなかった。流(なが)れは、大(おお)きくなって、海(うみ)のようになっていた。メロスは、川(かわ)の岸(きし)にしゃがみこんで、男(おとこ)なのに声(こえ)をだして泣(な)いた。そして天(てん)に向(む)かって、ゼウスに祈(いの)った。
「お願い(ねが)いです、どうかこの荒(あ)れくるう流(なが)れを静(しず)めてください!時(とき)はどんどん過(す)ぎていきます。太陽(たいよう)も、もう真昼(まひる)の高(たか)さです。あれが沈(しず)んでしまう前(まえ)に、お城(しろ)に着(つ)かないと、あの優(やさ)しい友達(ともだち)が、私(わたし)のせいで死(し)んでしまうのです!」
きたない川(かわ)の流(なが)れは、メロスの叫(さけ)びをばかにするように、もっともっとはげしくあばれた。波(なみ)は、波(なみ)を飲(の)んで、ますます強(つよ)くなっていった。そして、時(とき)はどんどんすぎていく。メロスは、決(き)めた。泳(およ)いで渡(わた)るしかない!ああ、神(かみ)さま、見(み)ていてください! このきたない川(かわ)にも負(ま)けない、愛(あい)と誠(まこと)の強(つよ)さを、いまこそご覧(らん)ください!メロスは、どぶんと川(かわ)にとびこみ、たくさんの大(おお)きなへびのようにくねくねとあばれる波(なみ)と、必死(ひっし)にたたかった。体中(からだじゅう)の力(ちから)を使(つか)って、強(つよ)い流(なが)れを、何とか泳(およ)いで、泳(およ)いで、ものすごくがんばった。そんな人(ひと)の子(こ)のすがたを見(み)て、神(かみ)さまもかわいそうに思(おも)ったのか、ついにたすけてくれた。メロスは、流(なが)されながらも、とうとう向(む)こう側(がわ)の木(き)につかまることができた。「たすかった!」メロスは、馬(うま)のように大(おお)きくからだをふるわせて、すぐまた走(はし)り出(だ)した。少(すこ)しの時間(じかん)もむだにできない。太陽(たいよう)は、もう西(にし)にかたむきかけている。メロスは、ぜいぜいと大(おお)きくいきをしながら山(やま)をのぼり、やっとのぼりきってほっとした時(とき)――突(とつ)ぜん、目(め)の前(まえ)に山賊(さんぞく)の群(む)れがとび出(だ)してきた。
「まて!」
「何(なに)をするんだ! 私(わたし)は、太陽(たいよう)がしずむまえに、お城(しろ)に行(い)かなければならないんだ。じゃまをするな!」
「そうはさせない。持(も)っているものを、ぜんぶ置(お)いて行(い)け!」
「私(わたし)には、いのちのほかに何もない。そのたった一(ひと)つのいのちも、これから王(おう)にやるつもりだ。」
「その、いのちがほしいんだ。」
「なるほど、王(おう)の命令(めいれい)で、ここで私(わたし)を待(ま)っていたんだな!」
山賊(さんぞく)たちは、何も言(い)わずに、いっせいにぼうをふり上(あ)げた。メロスは、すばやく体(からだ)をまげて、すぐ近(ちか)くの一人(ひとり)にとびかかり、その棍棒(こんぼう)をうばい取(と)って、
「申(もう)し訳(わけ)ないが、正(ただ)しいことのためだ!」とさけんで、強(つよ)く一発(いっぱつ)!すぐに三人(さんにん)をなぐって、たおした。のこった山賊(さんぞく)たちが、おどろいている間(あいだ)に、メロスはまたすぐに走(はし)り出(だ)し、山(やま)をかけおりた。一気(いっき)に山(やま)をおりたが、やはり体(からだ)はつかれていた。ちょうど、そのころ、午後(ごご)の太陽(たいよう)がじりじりと当(あ)たって、メロスは何ども、目(め)がまわりそうになった。「このままじゃだめだ!」と思(おも)って、気(き)をとりなおし、ふらふらと二、三歩(に、さんぽ)あるいたが、とうとう、がくっとひざをおってたおれてしまった。立(た)ちあがることができない。メロスは、空(そら)を見上(みあ)げて、くやしくて泣(な)きだした。ああ、危(あぶ)ない川(かわ)を泳(およ)いで渡(わた)り、山賊(さんぞく)を三人(さんにん)たおし、神(かみ)のように走(はし)ってここまで来(き)たメロスよ。本当の勇気(ゆうき)がある男(おとこ)、メロスよ。それなのに、ここでつかれて動(うご)けなくなるとは、なんと残念(ざんねん)なことか。大好(だいす)きな友(とも)だちは、お前(おまえ)を信(しん)じたばかりに、もうすぐころされなければならない。お前(おまえ)は、まるで王(おう)の思(おも)ったとおりの「うそつき」ではないか!そう自分(じぶん)をしかったが、体(からだ)は力(ちから)がぬけてしまって、もう虫(むし)のようにも動(うご)くこともできなかった。道端(みちばた)の草原(くさはら)に、ごろりとねころんだ。体(からだ)がつかれると、心(こころ)もつかれてしまう。もう、どうでもいい、と思(おも)う。勇気(ゆうき)ある人間(にんげん)らしくない、甘(あま)い気持(きも)ちが心(こころ)のすみで育(そだ)ってきた。私(わたし)は、こんなにがんばった。約束(やくそく)をやぶる気持(きも)ちは、絶対(ぜったい)にない。神(かみ)さまも見(み)ている。私(わたし)は、いっしょうけんめいがんばってきた。動(うご)けなくなるまで走(はし)ってきたんだ。私(わたし)は、うそつきじゃない。ああ、できるなら、私(わたし)の胸(むね)を切(き)って、真赤(まっか)な心臓(しんぞう)を見(み)せたい。愛(あい)と信(しん)じる気持(きも)ちだけで動(うご)いているこの心臓(しんぞう)を見(み)てほしい。でも、私(わたし)は今、大事(だいじ)な時(とき)に、力(ちから)がぜんぶなくなった。私(わたし)は、とても不幸(ふこう)な男(おとこ)だ。きっと、みんなに笑(わら)われる。私(わたし)の家族(かぞく)も笑(わら)われる。私(わたし)は友(とも)だちをだました。途中(とちゅう)で倒(たお)れるのは、はじめから何もしないのと同(おな)じだ。ああ、もうどうでもいい。これが私(わたし)の運命(うんめい)かもしれない。セリヌンティウス、ゆるしてほしい。君(きみ)はいつも私(わたし)を信(しん)じてくれた。私(わたし)も君(きみ)をだまさなかった。二人(ふたり)は、本当(ほんとう)にいい友(とも)だちだった。いちども、暗(くら)い疑(うたが)いの気持(きも)ちをお互(たが)いに持(も)ったことはない。今でも、君(きみ)は私(わたし)を心(こころ)から待(ま)っているだろう。ああ、待(ま)っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。私(わたし)を信(しん)じてくれて。それを思(おも)うと、たまらない。友達同士(ともだちどうし)の信(しん)じる気持(きも)ちは、この世(よ)でいちばん大切(たいせつ)な宝(たから)だからだ。セリヌンティウス、私(わたし)は走(はし)った。君(きみ)をだますつもりは、絶対(ぜったい)になかった。信(しん)じてほしい!私(わたし)は急(いそ)いで急(いそ)いでここまで来(き)た。危(あぶ)ない川(かわ)の流(なが)れをこえた。山賊(さんぞく)の集団(しゅうだん)からも、すっとぬけて、一気(いっき)に山道(やまみち)を駆(か)けおりて来(き)た。私(わたし)だからできたのだ。ああ、もうこれ以上(いじょう)、私(わたし)に望(のぞ)まないでくれ。ほうっておいてくれ。どうでもいい。私(わたし)は負(ま)けた。だらしない。笑(わら)ってくれ。王(おう)は私(わたし)に、「すこし遅(おく)れて来(こ)い」と耳元(みみもと)で言(い)った。もし遅(おく)れたら、身代(みが)わりの友(とも)を殺(ころ)して、私(わたし)を助(たす)けると約束(やくそく)した。
私(わたし)は王(おう)のずるさを憎(にく)んだ。でも今になると、私(わたし)は王(おう)の言(い)う通(とお)りになっている。私(わたし)は遅(おく)れて行(い)くのだろう。王(おう)はひとりで笑(わら)って、私(わたし)を自由(じゆう)にするだろう。そうなったら、私(わたし)は死(し)ぬよりつらい。私(わたし)はずっとうらぎり者(もの)だ。地上(ちじょう)でいちばん名誉(めいよ)のない人間(にんげん)だ。セリヌンティウス、私(わたし)も死(し)ぬ。君(きみ)と一緒(いっしょ)に死(し)なせてほしい。君(きみ)だけは私(わたし)を信(しん)じてくれるにちがいない。いや、それも私(わたし)の自分勝手(じぶんかって)な考(かんが)えか?ああ、もう悪(わる)い人(ひと)になって長(なが)く生(い)きてやろうか。村(むら)には私(わたし)の家(いえ)がある。羊(ひつじ)もいる。妹(いもうと)の夫婦(ふうふ)は、きっと私(わたし)を村(むら)からおい出(だ)したりしないだろう。正(ただ)しいことや信(しん)じる心(こころ)や愛(あい)も、よく考(かんが)えればつまらない。人(ひと)を殺(ころ)して自分(じぶん)が生(い)きる。それが人間(にんげん)というものではないか。ああ、何もかもばかばかしい。私(わたし)はみにくいうらぎり者(もの)だ。どうでもいい。好(す)きにしてくれ。もうだめだ。――四本(よんほん)の手足(てあし)をのばして、うとうととねむってしまった。
ふと耳(みみ)に、さらさらと水(みず)の流(なが)れる音(おと)が聞(き)こえた。そっと頭(あたま)を起(お)こして、息(いき)を止(と)めて耳(みみ)をすました。すぐ足(あし)もとで、水(みず)が流(なが)れているらしい。よろよろと起(お)き上(あ)がって見(み)ると、岩(いわ)のすきまからこんこんと、小(ちい)さな声(こえ)でささやくようにきれいな水(みず)が流(なが)れ出(で)ていた。
その泉(いずみ)にひきよせられるように、メロスは身(み)をかがめた。両手(りょうて)ですくった水(みず)を一口(ひとくち)飲(の)んだ。ほっと長(なが)いため息(いき)が出(で)て、まるで夢(ゆめ)からさめたような気(き)がした。歩(ある)ける。行(い)こう。体(からだ)の疲(つか)れがなおり始(はじ)めて、少(すこ)しだけ希望(きぼう)が出(で)てきた。やらなければいけないことができる希望(きぼう)だ。自分(じぶん)の命(いのち)にかえても、名誉(めいよ)を守(まも)る希望(きぼう)だ。夕日(ゆうひ)が赤(あか)い光(ひかり)を木(こ)の葉(は)に当(あ)てて、葉(は)も枝(えだ)も燃(も)えるように輝(かがや)いている。日(ひ)が沈(しず)むまで、まだ時間(じかん)がある。私(わたし)を待(ま)っている人(ひと)がいる。少(すこ)しも疑(うたが)わず、静(しず)かに私(わたし)を信(しん)じて待(ま)っている人(ひと)がいる。私(わたし)は信(しん)じられている。私(わたし)の命(いのち)は、大(たい)した事(こと)じゃない。死(し)んであやまるなどという、いいかげんなことは言(い)っていられない。私(わたし)は信頼(しんらい)にこたえなければならない。今(いま)はただ、その事(こと)だけだ。走(はし)れ! メロス。
 私(わたし)は信(しん)じられている。私(わたし)は信(しん)じられている。さっきの、あの悪(わる)い夢(ゆめ)は、夢(ゆめ)だった。悪(わる)い夢(ゆめ)だった。忘(わす)れよう。体(からだ)が疲(つか)れている時(とき)は、ふとあんな悪(わる)い夢(ゆめ)を見(み)るものだ。メロス、お前(まえ)ははずかしくない。やっぱり、お前(まえ)は本当(ほんとう)に勇気(ゆうき)ある者(もの)だ。もう一度(いちど)立(た)って走(はし)れるようになった。ありがたい!私(わたし)は正(ただ)しい人(ひと)として死(し)ねる。ああ、太陽(たいよう)が沈(しず)む。どんどん沈(しず)む。待(ま)ってくれ、ゼウス。私(わたし)は生(う)まれてからずっと正直(しょうじき)な男(おとこ)だ。正直(しょうじき)なままで死(し)なせてください。
道(みち)を歩(ある)く人(ひと)を押(お)し飛(と)ばして、メロスは黒(くろ)い風(かぜ)のように走(はし)った。野原(のはら)での酒(さけ)の集(あつ)まりの真(ま)ん中(なか)を走(はし)り抜(ぬ)けて、よっぱらいたちをびっくりさせた。犬(いぬ)をけって、小川(おがわ)を飛(と)び越(こ)えた。少(すこ)しずつ沈(しず)む太陽(たいよう)の十倍(じゅうばい)の速(はや)さで走(はし)った。旅人(たびびと)の集(あつ)まりとすれ違(ちが)った時(とき)、いやな話(はなし)を小(ちい)さな声(こえ)で聞(き)いた。「今頃(いまごろ)は、あの男(おとこ)も、十字架(じゅうじか)で殺(ころ)されているよ。」ああ、その男(おとこ)のために私(わたし)は今(いま)こんなに走(はし)っているのだ。その男(おとこ)を死(し)なせてはならない。急(いそ)げ、メロス。遅(おく)れてはだめだ。愛(あい)と誠(まこと)の力(ちから)を、今(いま)こそ示(しめ)してやれ。かっこうなんてどうでもいい。メロスは今(いま)、ほとんど裸(はだか)だった。息(いき)もできずに、二度(にど)も三度(さんど)も口(くち)から血(ち)を吐(は)いた。見(み)える。遠(とお)くに小(ちい)さく、シラクスの町(まち)の建物(たてもの)が見(み)える。建物(たてもの)は夕日(ゆうひ)の光(ひかり)を受(う)けて、キラキラ光(ひか)っている。
「ああ、メロス様(さま)。」苦(くる)しい声(こえ)が、風(かぜ)といっしょに聞(き)こえた。
「誰(だれ)だ。」メロスは走(はし)りながら聞(き)いた。
「フィロストラトスです。あなたのお友(とも)だち、セリヌンティウス様(さま)の弟子(でし)です。」若(わか)い石工(いしく)もメロスの後(うし)ろを走(はし)りながら叫(さけ)んだ。「もうだめです。無駄(むだ)です。走(はし)るのはやめてください。あの方(かた)を助(たす)けることはもうできません。」
「いや、まだ太陽(たいよう)は沈(しず)んでいない。」
「ちょうど今(いま)、あの方(かた)が殺(ころ)されるところです。ああ、あなたは遅(おそ)かった。あなたを悪(わる)く思(おも)います。ほんの少(すこ)し、もう少(すこ)しでも早(はや)ければ!」
「いや、まだ太陽(たいよう)は沈(しず)んでいない。」メロスは心(こころ)の苦(くる)しみをがまん、赤(あか)く大(おお)きな夕日(ゆうひ)だけを見(み)ていた。走(はし)るしかない。
「やめてください。走(はし)るのはやめてください。今(いま)はあなたの命(いのち)が大事(だいじ)です。あの方(かた)は、あなたを信(しん)じていました。広場(ひろば)に連(つ)れて行(い)かれても、平気(へいき)でした。王様(おうさま)があの方(かた)をいじめても、メロスは来(く)る、とだけ答(こた)え、強(つよ)い信(しん)じる心(こころ)を持(も)っていました。」
「だから、走(はし)るのだ。信(しん)じられているから走(はし)るのだ。間(ま)に合(あ)うか間(ま)に合(あ)わないかは問題(もんだい)じゃない。人(ひと)の命(いのち)も問題(もんだい)じゃない。私(わたし)はもっと大(おお)きな物(もの)のために走(はし)っている。ついて来(こ)い!フィロストラトス。」
「ああ、あなたは気(き)がおかしくなったのか。それなら、たくさん走(はし)れ。もしかしたら、間(ま)に合(あ)うかもしれない。走(はし)れ。」
まだ太陽(たいよう)は沈(しず)んでいなかった。メロスは最後(さいご)の力(ちから)を出(だ)して走(はし)った。メロスの頭(あたま)の中(なか)はからっぽだった。何(なに)も考(かんが)えていなかった。ただ、わけのわからない大(おお)きな力(ちから)に引(ひ)っぱられて走(はし)った。
太陽(たいよう)はゆらゆらと地平線(ちへいせん)に沈(しず)み、最後(さいご)の光(ひかり)も消(き)えようとしたとき、メロスは風(かぜ)のように広場(ひろば)に入(はい)った。間(ま)に合(あ)った。
「待(ま)て。その人(ひと)を殺(ころ)してはいけない。メロスが帰(かえ)って来(き)た。約束(やくそく)どおり、今(いま)、帰(かえ)って来(き)た。」
メロスは大(おお)きな声(こえ)で広場(ひろば)の人々(ひとびと)に言(い)おうとしたが、のどがかすれて小(ちい)さな声(こえ)しか出(で)なかった。人々(ひとびと)は誰(だれ)も気(き)づかなかった。すでにはりつけの柱(はしら)が高(たか)く立(た)てられ、なわでしばられたセリヌンティウスは少(すこ)しずつつり上(あ)げられていた。メロスはそれを見(み)て、先(さき)ほどの危(あぶ)ない川(かわ)を泳(およ)いだように人ごみをかき分(わ)けて、
「私(わたし)だ、お役人(やくにん)さん!殺(ころ)されるのは私(わたし)だ。メロスだ。彼(かれ)を人質(ひとじち)にしたのは私(わたし)だ!」かすれた声(こえ)で一生けんめい叫(さけ)びながら、ついに台(だい)に上(の)り、つり上(あ)げられていく友だちの足(あし)をつかまえた。人々(ひとびと)はおどろいて、さわぎだした。「やったぞ。ゆるせ!」とみんなが言(い)った。セリヌンティウスのなわはほどかれた。
「セリヌンティウス。」メロスは泣(な)きそうになりながら言(い)った。「私(わたし)をなぐってくれ。力(ちから)いっぱいほおをなぐってくれ。途中(とちゅう)で悪(わる)い夢(ゆめ)を見(み)た。もし君(きみ)が私(わたし)をなぐってくれなかったら、私は君(きみ)と抱(だ)き合(あ)うことができない。なぐってくれ。」
 セリヌンティウスはすべてを理解(りかい)してうなずき、広場(ひろば)全部(ぜんぶ)に聞(き)こえるくらい強(つよ)くメロスの右(みぎ)ほおをなぐった。なぐったあと、やさしく笑(わら)って言(い)った。
「メロス、私(わたし)をなぐってくれ。同(おな)じくらい強(つよ)くほおをなぐってくれ。私はこの三日間(みっかかん)、一度(いちど)だけ君(きみ)を疑(うたが)った。生(う)まれてはじめて君(きみ)を疑(うたが)った。君(きみ)が私(わたし)をなぐってくれなければ、私は君(きみ)と抱(だ)き合(あ)えない。」
 メロスは力(ちから)を込(こ)めてセリヌンティウスのほおをなぐった。
「ありがとう、友(とも)よ。」二人(ふたり)は同時(どうじ)に言(い)って、しっかり抱(だ)き合(あ)い、それからうれしくて声(こえ)を出(だ)して泣(な)いた。
 人々(ひとびと)中(じゅう)からも、泣(な)く声(こえ)が聞(き)こえた。悪王(あくおう)ディオニスは、人々(ひとびと)の後(うし)ろから二人(ふたり)をじっと見(み)ていたが、やがて静(しず)かに二人(ふたり)に近(ちか)づき、顔(かお)を赤(あか)くしてこう言(い)った。
「おまえたちの望(のぞ)みはかなった。おまえたちは、わしの心(こころ)に勝(か)ったのだ。信(しん)じることは、むだな夢(ゆめ)ではなかった。どうか、わしも仲間(なかま)に入(い)れてくれないか。どうか、わしの願(ねが)いを聞(き)いて、おまえたちの仲間(なかま)の一人(ひとり)にしてほしい。」
 人々(ひとびと)の中(なか)で大(おお)きな歓声(かんせい)がわき起(お)こった。
「ばんざい! 王(おう)さまばんざい!」
 一人(ひとり)の少女(しょうじょ)が、赤(あか)いマントをメロスに渡(わた)した。メロスは困(こま)った顔(かお)をした。親友(しんゆう)が、気(き)をきかせて教(おし)えてくれた。
「メロス、君(きみ)は裸(はだか)だよ。早(はや)くそのマントを着(き)たほうがいい。このかわいい娘(むすめ)さんは、メロスの裸(はだか)をみんなに見(み)られるのが、とてもくやしいんだ。」
勇気(ゆうき)ある男(おとこ)は、とても赤(あか)くなった。

Melos got very angry. He decided that he must stop the evil and cruel king. Melos did not understand politics. He was a shepherd in a village. He played the flute and lived with his sheep. But he could feel evil very well.
Early this morning, Melos left his village. He walked over fields and mountains. He came to this city, Syracuse, which is ten ri — about twenty-four miles — away. Melos had no father and no mother. He also had no wife. He lived with his shy 16-year-old sister. His sister was going to marry a good shepherd in the village soon. The wedding was very close. That is why Melos came to the city. He wanted to buy a wedding dress and food for the party.
After buying the things, he walked in the big streets of the city. Melos had an old friend named Selinuntius. Selinuntius now worked as a stone cutter in this city. Melos wanted to visit him. He had not seen him for a long time, so he was happy.
As Melos walked, he felt something was wrong. The city was very quiet. It was already dark, so it should be quiet, but this was too strange. Even Melos started to feel worried.
He stopped a young man and asked, “What happened? Two years ago, when I came, people sang at night. The city was happy. ”The young man only shook his head and did not speak. Then Melos walked more and saw an old man. He asked again, with a stronger voice. But the old man said nothing. Melos grabbed the old man and asked again and again. At last, the old man said quietly,
“The king kills people.”
“Why does he kill them?”
“He says they have evil hearts. But no one really does.”
“Did he kill many people?”
“Yes. First, his sister’s husband. Then his own son. Then his sister. Then her child. Then the queen. Then the wise man, Alexis.”
“I can’t believe it! Is the king crazy?”
“No, he is not crazy. He just cannot trust anyone. Now, he does not trust his servants. If someone lives a little too richly, he makes them give a person as a hostage. If they say no, they are killed on a cross. Today, six people were killed.”
Melos became very angry. “What a terrible king! I cannot let him live!”
Melos was a simple man. He still had the things he bought, but he walked to the castle. Right away, the guards caught him. They checked him and found a short sword in his pocket. It became a big problem. Melos was brought to the king.
“What did you want to do with this dagger? Speak! ”The cruel king, Dionysus, asked quietly but strongly. His face was pale. His eyebrows were tight with deep lines.
“I will save the city from the bad king,” said Melos without fear.
“You?” The king laughed a little. “You are foolish. You do not understand my loneliness.”
“Don’t say that!” Melos said strongly. “To not trust people is very bad. You don’t trust your people.”
“You people taught me to doubt. People think only of themselves. We cannot trust anyone,” the king said quietly. “I also want peace.”
“Peace? Do you kill innocent people for your peace?” Melos laughed at the king.
“Be quiet, poor man!” The king looked up quickly. “You can say good things, but I know your true heart. When you are about to die, you will cry and say sorry.”
“Oh, king, you are smart. You can think that. But I am ready to die. I will not ask for life. Only…” Melos looked down and stopped for a second. “Only, if you feel kind, please give me three days. I want to help my sister marry. I will go to my village, have the wedding, and come back.”
“Stupid,” said the king with a low voice. “You think a bird you let go will come back?”
“Yes. I will come back,” Melos said strongly. “I keep my promise. Please trust me for three days. My sister is waiting for me. If you don’t trust me, take my best friend Selinuntius. He lives in this city. Keep him here. If I don’t come back before sunset on the third day, kill him. Please do that.”
The king smiled a cruel smile. This man is a fool. He will not come back. But I will act like I believe him. Then I can kill his friend on the third day. People will see that we cannot trust anyone.
“Okay. Bring the friend. Come back before sunset on the third day. If you are late, I will kill him. Maybe you should be late. Then I will forgive you.”
“What do you mean?”
“Haha. If you love your life, be late. I know your heart.”
Melos was angry and stamped his foot. He did not want to speak more.
Late that night, Selinuntius came to the castle. Melos and Selinuntius had not seen each other for two years. Melos told everything to his friend. Selinuntius said nothing and hugged him. That was enough for them. Selinuntius was tied up. Melos left the city. The sky was full of stars.
That night, Melos did not sleep. He ran ten ri— about twenty-four miles — to his village. He arrived the next morning. The sun was high. People were working in the fields. His sixteen-year-old sister was watching the sheep. She saw her tired brother and was surprised. She asked many questions.
“It’s nothing,” Melos said with a smile. “I have work in the city. I must go back soon. But tomorrow is your wedding. It’s better to be soon.”
His sister blushed.
“Are you happy? I also bought you a pretty dress. Go now and tell the people. Your wedding is tomorrow.”
Melos walked slowly to his house. He decorated the altar for the gods, and made the place ready for the wedding.. Then he fell on the floor and slept very deeply.
At night, Melos woke up. He went to the groom’s house and asked, “Please have the wedding tomorrow. I have a reason. ”The man was surprised. “That is too soon. We are not ready. Wait until grape season. ”Melos said, “I cannot wait. Please, do it tomorrow. ”The man was strong. He did not say yes. They talked until morning. Finally, Melos convinced him. The wedding was at noon. After the bride and groom promised the gods, black clouds came. Then it started to rain. It became heavy rain. People at the party felt something bad, but they stayed happy. They sang and clapped hands in the small house. It was hot and crowded. Melos was also very happy and forgot the king’s promise for a short time. The party got more fun. People forgot about the rain. Melos wanted to stay forever. He wanted to live with these good people. But right now, his body was not his own. He could not control it well. Melos pushed himself and finally decided to go. He told himself, “I will sleep a little and then go. There is still enough time before sunset tomorrow.” He hoped the rain would stop. He wanted to stay a little longer. Even Melos felt sad to leave. He went to his sister, the happy bride.
“Congratulations. I am very tired. I will sleep now. When I wake up, I will go back to the city. I have something important to do. You have a kind husband now. You won’t be lonely. Your brother hates two things: not trusting people and telling lies. You know that, right? Never hide anything from your husband. That is all I want to say. Your brother is maybe a great man. Be proud of that.”
The bride nodded like she was dreaming. Melos then patted the groom on the shoulder and said,
“We are both simple. In my house, the only treasures are my little sister and sheep. I have nothing else. I will give you everything. Also, be proud to become Melos’s brother.”
The groom rubbed his hands and felt shy. Melos smiled and bowed to the villagers. Then he left the party and went into the sheep house. He slept very deeply like he was dead.
He woke up at dawn the next day. Melos jumped up and said, “Oh no, did I sleep too long? No, it’s still okay. If I leave now, I can reach on time. Today, I will show the king that there is truth in manhood. Then I will smile and go to the cross. ” He calmly got ready for the trip. The rain was a little lighter. Melos was ready. Then he shook his arms strongly and ran fast like an arrow in the rain.
“I will be killed tonight. I run to be killed. I run to save my friend who is a substitute. I run to break the king’s evil and clever plan. I must run. And then I will be killed. Keep your honor when you are young. Goodbye, hometown.”Young Melos was sad. Sometimes he wanted to stop. He shouted loudly, “Go, go!” and ran again. He left the village, crossed fields, passed through the forest, and reached the next village. The rain stopped. The sun rose high and it became hot. Melos wiped sweat from his forehead with his fist. “Now I am safe. I don’t want to go back home anymore. My sister and her husband will be happy. I have no worries now. I just have to go straight to the king’s castle. No need to hurry. I will walk slowly.” He became relaxed again and started singing a small song with a nice voice. He walked slowly two ri, then three ri. When he reached about half the way, a big problem came suddenly. Melos stopped.Look! The river in front. Yesterday’s heavy rain made the mountain water flood. The muddy water rushed down strongly and broke the bridge. The strong river water made a loud noise and threw the wooden bridge parts away. Melos was shocked and stopped. He looked around and called loudly, but the small boats were all gone, taken by the waves. No one was at the river to help. The river grew bigger like the sea. Melos sat on the riverbank and cried like a man. He raised his hands to Zeus and begged,“Oh, please calm the wild river! Time goes by quickly. The sun is already at noon. If I cannot reach the king’s castle before the sun goes down, my good friend will die for me.”
The muddy river laughed at Melos’s shout and danced wildly even more fiercely. The waves swallowed and twisted other waves, blowing and pushing them. Time was passing away little by little. Melos understood now — he had no choice but to swim across.“Oh gods, please watch! Now I will show the great power of love and truth that even the wild river cannot defeat.”Melos jumped into the water with a big splash. He started a desperate fight against the waves that rolled and twisted like one hundred big snakes. Using all his strength, he pushed through the strong, swirling water. Seeing this brave human child fighting like a furious lion, maybe the gods felt pity and finally showed mercy. Even as he was pushed by the water, Melos managed to grab hold of a tree trunk on the other side of the river.“Thank goodness.” Melos shook his whole body like a horse and hurried on again. Not a moment could be wasted. The sun was already starting to go down in the west.Breathing heavily, Melos climbed a mountain pass. When he reached the top and relaxed, suddenly a group of bandits jumped out in front of him.
“Stop!”
“What do you want? I must get to the king’s castle before the sun sets. Let me go.”
“No way. Leave all your things and go.”
“I have nothing but my life. And I will give this one life to the king.”
“That life is what we want.”
“Then you were waiting here to ambush me on the king’s order.”
The bandits raised their clubs all at once without saying a word. Melos quickly bent his body, attacked one close bandit like a flying bird, took his club, and shouted,
“I’m sorry, but this is for justice!”
With one fierce strike, he knocked down three bandits. Seeing the others hesitate, he quickly ran down the mountain pass.He ran down the pass in one go but was very tired. The hot afternoon sun shone strongly and Melos felt dizzy many times. He tried to stay strong but after a few steps, he finally fell to his knees. He could not stand up. Looking up at the sky, he started crying bitterly.“Oh, Melos, who swam through the wild river, defeated three bandits, and ran through to here like a fast runner! You are a true brave man. But now you are so tired you can’t move. How sad! Your dear friend believed in you and must be killed soon because of it. You are a very unlucky man. You will surely be laughed at. Your family will be laughed at. You have betrayed your friend. To fall down now is the same as doing nothing from the start. Oh, I don’t care anymore. Maybe this is my fate. Selinuntius, forgive me. You always trusted me. I never lied to you. We were truly good friends. We never had dark doubts between us. You are surely still waiting for me. Thank you, Selinuntius. Thank you for trusting me. Thinking of that hurts my heart. Trust between friends is the greatest treasure in the world. Selinuntius, I ran. I never meant to trick you. Believe me! I hurried so much to get here. I passed through the wild river, slipped past the bandits, and ran down the mountain quickly. I was able to do it. Oh, don’t expect more from me now. Leave me alone. I don’t care anymore. I lost. How weak. Laugh at me. The king whispered to me to come late. If I came late, he promised to kill my substitute and save me. I hated the king’s evil plan. But now I see, I am doing what the king wants. I will come late. The king will laugh at me alone and then set me free without any trouble. If that happens, it will be worse than death. I will be a traitor forever. The most dishonored man on earth. Selinuntius, I will die too. Let me die with you. Only you surely trust me. No, is that just my selfish hope? Oh, maybe I should just live as a bad man. My house is in the village. I have sheep. My sister and her husband would never drive me out. Justice, truth, love — thinking about them is silly. Killing people and living — isn’t that the law of the human world? Oh, everything is foolish. I am a ugly traitor. Do as you like. Alas.”He threw out his arms and dozed off.
Suddenly, he heard the soft sound of flowing water. He raised his head carefully and listened. The water was flowing near his feet. He got up slowly and saw clear water springing out quietly from a crack in the rocks. Melos bent down and drank the water with his hands. He sighed deeply and felt like waking from a dream. He could walk. He could go on. As his body recovered a little, a small hope was born. Hope to finish his duty. Hope to protect his honor even if it meant dying. The setting sun threw red light on the leaves, making the trees shine brightly. There was still time before sunset. Someone was waiting for him. Someone trusted him quietly without doubt. I am trusted. It is not a matter of life or death. I cannot just say sorry by dying. I must repay this trust. Now, that is the only thing that matters. Run, Melos!
I am trusted. I am trusted. The evil whisper I heard earlier—that was just a dream. A bad dream. I will forget it. When your body is tired, you sometimes have bad dreams like that. Melos, this is not your shame. You are truly brave. You have stood up and run again. Thank goodness! I can die as a just man. Ah, the sun is setting. It is going down fast. Wait, Zeus. I have been an honest man since I was born. Please let me die as an honest man.
Melos pushed people out of the way and ran like a black wind. He ran through a party in the field, surprising the people there. He kicked a dog, jumped over a small river, and ran ten times faster than the setting sun. When he passed a group of travelers quickly, he heard a bad conversation. “That man is probably being crucified now.” Ah, that man! I am running for him now. I must not let him die. Hurry, Melos. Do not be late. Now is the time to show the power of love and truth. It does not matter how I look. Melos was almost naked. He could not breathe well and blood came from his mouth two or three times. He could see the tower of Syracus city far away. The tower was shining in the sunset.
“Ah, Mr.Melos.” A weak voice came with the wind.
“Who is it?” Melos asked while running.
“I am Philostratus, a disciple of your friend Selinuntius,” the young stonecutter shouted while running after Melos. “It is no use. Please stop running. You cannot save him now.”
“No, the sun is not down yet.”
“He is about to be executed now. Ah, you are late. I am sorry. If only you were a little faster!”
“No, the sun is not down yet.” Melos looked at the big red sunset with a painful heart. There was nothing else to do but run.
“Please stop running. Your life is more important now. He believed in you. Even when the king made fun of him, Selinuntius said, ‘Melos will come,’ and kept his strong faith.”
“That is why I run. I run because I am trusted. It does not matter if I am too late or not. It does not matter about life or death. I am running for something bigger and more terrible. Come with me, Philostratus.”
“Are you crazy? Then run as much as you want. Maybe you are not too late. Run.”
As he said, the sun had not set yet. Melos ran with all his strength. His head was empty. He thought of nothing. He was pulled by a great unknown power and ran.
The sun was going down on the horizon. Just when the last light was about to disappear, Melos rushed like the wind into the execution place. He was in time.
“Stop! Do not kill this man! Melos is back! I have come back, as promised!” Melos shouted loudly to the crowd, but his throat was broken and his hoarse voice was faint. No one noticed his arrival. The cross was already raised high. Selinuntius was tied with ropes and was slowly lifted up. Melos saw this and pushed through the crowd like a strong river.
“It is me, executioner! Melos! It was me who took him as a hostage! I’m here. Kill me instead Kill me instead!” Melos shouted with a hoarse voice. He finally climbed the cross and He held on tightly to his friend’s legs as his friend was being lifted up. The crowd gasped. “Wonderful! Forgive him!” they shouted. Selinuntius’s ropes were untied.
“Selinuntius,” Melos said with tears in his eyes, “Hit me! Hit my cheek with all your strength. I had a bad dream on the way. If you don’t hit me, I am not worthy to hug you. Hit me.”
Selinuntius understood everything and nodded. He hit Melos’s right cheek loudly, then smiled gently.
“Melos, hit me too, just as loud. For three days, I doubted you once. It was the first time I doubted you since we met. If you do not hit me, I cannot hug you.”
Melos hit Selinuntius’s cheek with all his strength.
“Thank you, my friend.” They said at the same time. They hugged tightly and cried with happy tears.
The crowd also cried quietly. The cruel king Dionysus watched them from behind the crowd. Then he quietly came near and said,
“Your wish is fulfilled. You have won my heart. Truth and faith were not empty dreams. Please let me join you. Please accept me as one of you.”
The crowd cheered loudly.
“Long live the king!”
A girl gave Melos a red cloak. Melos was embarrassed. His good friend told him,
“Melos, you are naked. Quickly, wear that cloak. This kind girl didn’t want everyone to see your naked body.”
The brave man blushed deeply.